今年は夏が熱く 無理がきかないお年頃なので バイクはインターバル
9月は夏バテの帯状疱疹が長引いてバイクには乗れず
シルバーウィークの能登釣~りんぐ後は 余韻と虚脱感で やっぱりバイクに乗れず
10月10日頃から やっと本格的に活動再開
先ずは ナナハン
やっぱりコイツ
この直前にシートを交換しているので そのテストも兼ねる
この日は身近なコースを選定
小松方面へ
仕事中の外回り時に発見した旧8号線沿いのバイク屋に寄ってみる
なんか古いバイクも置いてありそうな雰囲気
店内にバイトらしき若い子が居たけど 目を合わしてこない
・・・まぁ小僧じゃ仕方ない
整備工場の前で 店長らしき人に話しかけて見ると
ずばり その方が店長でして
「6年前に此処に引っ越してきた」とのこと
県内のバイク屋事情にも詳しく とあるバイク屋(今 鶴来にある)
の昔の店舗に居たバイトのメカ
私のナナハンやCB550FOUR XS650Eの塗装は彼の作品
腕が良くて しかもしゃべり上手な人だったのですが 店が移転後
見かけなく
信頼していたメカでしたので 残念に思っていたのですが
どうやら 4輪関係で活躍されているようで その後が知れて一安心
店内にはXS650
状態的にも値段的にも 食指は動かず
素直にそのように言ったら 「委託品」だそうで
そのうちに 出モノがあればお世話になるかも
次に来たのが
小松航空プラザ
入場料はいらないので 気軽に入れる
タマムシ型飛行機
飛行機創成期の偉人
リリエンタールの滑空機
翼を使い 揚力を発生させることには成功
飛行機として完成させるため エンジンの開発にも着手しましたが
墜落事故で他界
タマムシ型と言われる機体 (模型は人力仕様)
これもエンジン開発資金が足りず
ライト兄弟に先を越される
今現在の人力飛行機 (航空プラザ展示品)
最小限の動力で長時間飛ぼうとすると 軽くて大きく
タマムシ型を人力で飛ばすのは無理があります
ライト兄弟のフライヤー号
小型で出力の高いエンジンの開発も機体の開発と同等か
当時とすれば それ以上に重要な課題
エンジンが良くなれば 今の飛行機に近いカタチに
それは 遠くへ行けるという夢につながる
・・・バイクに乗ると遠くに行きたいという感情似てますね
リンドバーグ「翼よあれが パリの火だ」で知られる
スペック
高級乗用車と同じくらいのエンジンパワー
日本でも 石川県出身
冒険飛行家 東善作
や 長野県
そして 途方もない距離を飛べる機体まで
しかし 最新技術が最大限生かせるのは
97式艦上戦闘機
ジブリアニメ映画で空中分解したシーンは衝撃的でしたが
世界に通用どころか 世界トップレベル国産戦闘機の登場
文中にあるように 軍艦の量を英・米に比べ 低制限されたワシントン条約により
日本は飛行機を作るしかなかった時代背景
そして 零戦登場
因みに零戦の航続距離は2200km
開戦当時の単座戦闘機では世界最長
後に B29の護衛に使われた ノースアメリカンP51に 最長航続距離の性能も持っていかれますが P51は翼内に大型の燃料タンクを入れたため 翼が厚くなり
失速しやすく 旋回性能だけは 終戦まで零戦が世界トップレベルでしたが
その頃にはアメリカは旋回戦は回避して 相手の壇上に上がらない作戦
軽くて防御力の劣る零戦は劣勢に
敗戦後戦後は戦勝国(国連常任時理事国)からの圧力で飛行機は作らせてもらえない時代に
・・・・代わりに クルマで英米を駆逐 (バブルまで)
しかし 戦勝国グループに 関税掛という足かせに 現地生産という名の 戦勝国の言いなり
今は戦勝国グループは高度なハイブリッド車は作る技術が無いので 電気自動車の枠組みで日本を脅す
・・・・このへんは何時まで経っても敗戦国の日本
話は横道に逸れましたが
当時の航空技術は世界最高水準だった日本
戦争の良しあしは置いておいて
やっぱり 零戦はカッコイイ
レシプロエンジンは 単車と通じるところが
これ 精密模型
陸軍の隼戦闘機の初期タイプも展示
隼の方がベーシックな造り
零戦22型
初期タイプより エンジンが若干パワーアップ
小松航空プラザで個人的に一番好きな 展示
↓ やっぱレシプロエンジンのほうがロマンがあるな~