末森城跡
ここは第一駐車場
此処から 少し登ったところに 第二駐車場
それから 無料でパンフレット入手できます
この地図の様に 末森城は山城
周りは急峻な斜面で通常の出入りは 表町方面からしか出来ない構造
防御力は強い
その解説
土肥氏も元々は 畠山氏の家臣
橋を渡りますが
これは堀じゃなくて
後から作られた国道
そして S時の道
この付近に 門が有った様で
敵がせめて来たら 上から矢や鉄砲で効率よく防御出来る構造
そして しばらく尾根を直進
万が一 敵が門を突破しても 横に広がる陣形は取れないので
大群が来ても 先頭だけ叩けば良い
横は急斜面
二の丸
下界が良く見えます
一段上に本丸
本丸跡は 広い
史実を記録した案内板
長いんで 最後だけ 載せておきます
末森城
前田家の家臣 奥村助右ヱ門 が入る前は 元々はここを支配していた畠山氏の元家臣 土肥但馬が城主
土肥氏も畠山>上杉>信長>利家と 君主が変わった様ですが戦死
末森城を受け継いだのが 奥村助右ヱ門
そして 前田利家と敵対する佐々成正には
そして その夢を 徳川家康に託そうと
戦国時代 当時の装備&整備もされていないルートで
真冬の極寒北アルプスを越えて 富山と浜松を往復するという
一流の冒険家や登山家でも考えられないことも やってのけ
その後の佐々成正はここの戦いの敗戦などが理由で富山を追われ 一旦は 秀吉の軍門に下るも
秀吉の下で成果を上げ
波乱万丈、悲劇の戦国武将
末森城も江戸時代になると一国一城の政策により 廃城
本丸跡には
前田家 直系の子孫 前田利祐さんの記念植樹の杭が立っている
でも 植樹された松ですが
半ばから 折れちゃっています
・・・今年1月の大雪のせいですかね
それとも佐々成正のひそやかな抵抗かも
それにしても 寒い
一旦海側に出て
里山海道で帰りましょう
終わり
↓ んん~~~ 信長、秀吉、家康 共に パワハラ社長 現代人で良かった