万年NA バイク日記

北陸のポンコツ乗り、バイクを通じて欲のままに生きてます

初秋散歩 相倉合掌造り集落

相倉合掌造り集落に来ました

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一般の車は 手前の駐車場までで  料金は2輪車 100円
・・・・私はケチなので 集落入り口の駐車帯にバイク止めて 勿論料金は0円


       ついでにバス時刻表を載せておきます
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        一日 6本  ・・・・・車かバイクで行ったほうが無難ですね

駐車帯から集落入り口までは 400m  徒歩 5分
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休憩所のポスター見ますと

         今週末に麦屋祭り
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         来週末は和紙祭り
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                                        時間がある方はいかがでしょうか?




菅沼集落を散策
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合掌造りの家で有名な代表的集落といえば 
1、岐阜の白川郷 萩町集落 、 
2、五箇山の菅沼合掌造り集落
3、五箇山の相倉合掌造り集落

その中で一番昔ながらの素朴な表情を残しているのが ここ相倉集落な気がします
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中を見学できる 家もあります
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家の大きさは 他の集落に比べ 小ぶり
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ぶら下がっている これ ↓  はササラという 郷土楽器のオブジェ
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                                      こちら3つが本来の大きさ↑

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ほおずきのオレンジ

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そばの花の白

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浴衣の青

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花の赤
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この季節が 一番彩が美しい



そんな 相倉集落から見上げる山は人形山
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穏やかな 稜線の山ですが
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悲しい伝説があります 

以下 コピー

伝説[編集]

五箇山地域にはこの人形山にまつわる悲しい伝説(昔話)があり、アニメまんが日本昔ばなしでも「人形山」というエピソードとして制作、放送された[注釈 1]。実際に山腹には2人の幼子が手をつないで踊っているかのような、残雪による人形の形をした雪形が現れ、山名の由来となっている[2][10]。古くは「ひとがたやま」と呼ばれていた[2][6]
昔この山の麓に信心深い山姥と二人の娘が暮らしていた。3人は泰澄が創建したとされる白山権現堂を拝んでいた。ある日山姥が薪を採りに女人禁制であった山に入ったところ、小枝を跳ねて目を痛めてしまう。二人の娘が熱心にお祈りし、権現様からのお告げで山上の病に効く湯に山姥を背負って通ったところ目が治った。ある朝山上に権現様がいるのに二人が気づき山頂にお参りしたが、下山途中に山が荒れて麓の山姥のところへ戻らなかった。春が来て山の雪解けが進むと、山肌の残雪が二人の娘が手をつないでいる形に見え、この山が人形山と呼ばれるようになった。— 人形山の伝説
その 残雪  ネットよりお借りしました
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                                              つづく