その写真がこれ
その紫電改
比較的損傷が少ないことから 墜落というより不時着したと考えたほうが妥当
パイロットも着水するまでは 意識があった可能性は高そう
この機体の経緯ですが 7月24日の戦闘で未帰還となった6機のうちのどれか1機というところまではわかっていますが パイロットが帰還したという記録は残念ながら無し
以下コピー
戦闘701飛行隊 301飛行隊 とういのは
当時 松山に展開していた 海軍第343航空隊の中の飛行隊
343所属機 尾翼に343の文字 Aが301飛行隊
B 407飛行隊
C 701飛行隊
飛行隊は複数の小隊で編成
組織だった戦闘を展開
本土制空の砦となったのが 松山の343空
しかしアメリカの物量に 隊は少しずつ消耗
宇和島の機体の様に 優秀な若者も海の藻屑に
今日 愛媛のどいせんさまから お荷物届いた
中身は
ワタシも着れる 3L
クリアーケース
その高性能に目をつけた海軍が 陸上戦闘機へ改造
しかしマイナートラブルが多く 操縦安定性もイマイチ 操縦も難しい機体
だった「紫電」
そこで 大幅改良して登場 「紫電改」
主に活躍したのが 21型と21型甲
艦載タイプの31型
・・・以上 クリアーファイルの紫電改カタログ
そして Tシャツ
これが カッコイイ
戦争には負けましたが 日本の意地を見せた 最後の戦闘機 「紫電改」
戦争の善し悪しは別次元で置いておいて
華麗に戦った紫電改は日本の誇り と 思う万年NA
どいせんさま ありがとうございました