万年NA バイク日記

北陸のポンコツ乗り、バイクを通じて欲のままに生きてます

どいぜんさま 紫電改届きました

 
 
 昭和53年11月、愛媛県南宇和郡城辺町久良湾の海底40mに原型のまま沈んでいるのが地元ダイバーによって発見され、翌年7月14日実に34年ぶりに引き揚げられました。
 
 
その写真がこれ
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引き上げられた 紫電改は 宇和島展望タワーの紫電改展示館におさめらています

    その紫電改
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    機体は再塗装されていますが 曲がったプロペラや外板が剥げた尾翼などは 当時のまま
比較的損傷が少ないことから 墜落というより不時着したと考えたほうが妥当
パイロットも着水するまでは 意識があった可能性は高そう

この機体の経緯ですが 7月24日の戦闘で未帰還となった6機のうちのどれか1機というところまではわかっていますが パイロットが帰還したという記録は残念ながら無し
 
 
以下コピー
7月24日の呉軍港空襲では米艦載機16機撃墜を報告。しかし、戦闘701飛行隊長・鴛淵孝大尉、戦闘301・武藤金義少尉、初島二郎上飛曹、米田伸也上飛曹、今井進一飛曹、溝口憲心一飛曹を失う 


戦闘701飛行隊 301飛行隊 とういのは
当時 松山に展開していた 海軍第343航空隊の中の飛行隊
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     343所属機 尾翼に343の文字  Aが301飛行隊
                       B 407飛行隊
                       C 701飛行隊

                              飛行隊は複数の小隊で編成
 
 
戦争末期 アメリカに押され ジリ貧の中 優秀なパイロットと優秀な戦闘機(紫電改)を集中的に配備し
組織だった戦闘を展開
本土制空の砦となったのが 松山の343空
しかしアメリカの物量に 隊は少しずつ消耗 
宇和島の機体の様に 優秀な若者も海の藻屑に
 
 
 
 
 
 
 
 
今日 愛媛のどいせんさまから お荷物届いた
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中身は

宇和島紫電改記念館でしか手に入らない Tシャツ

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ワタシも着れる 3L

クリアーケース
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折角ですから紹介
 紫電改のベースとなった機体  水上戦闘機「強風」
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元々 水上機の製造が得意だった 川西航空機が独自に開発

その高性能に目をつけた海軍が 陸上戦闘機へ改造
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しかしマイナートラブルが多く 操縦安定性もイマイチ 操縦も難しい機体
だった「紫電

そこで 大幅改良して登場 「紫電改
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主に活躍したのが 21型と21型甲
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 艦載タイプの31型
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・・・以上 クリアーファイルの紫電改カタログ



そして Tシャツ
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これが カッコイイ

戦争には負けましたが  日本の意地を見せた 最後の戦闘機 「紫電改
 戦争の善し悪しは別次元で置いておいて 
華麗に戦った紫電改は日本の誇り と 思う万年NA
 

どいせんさま ありがとうございました