マルセイユからスクーターに乗って、いよいよ出発だ。スクーターを提供した富士重工業が出した条件は3つ。日本国籍を明示すること、音楽家であることを示すこと、事故を起こさないこと、だった。それで僕は日の丸つきのスクーターにまたがり、淡路山丸の船員さん特製のケースにギターを入れてパリを目指した。泊まるのは決まって若者向けの安宿だった。
使った スクーターは「ラビットジュニア125」
戦後すぐのモデルには零戦の尾輪の部品を使ったとも
そんな 敗戦の色が残ったスクーターにギターを背負い パリを目指したのが
若き日の 小澤征爾さん
「外国の音楽をやるためには、その音楽の生まれた土地、そこに住んでいる人間をじかに知りたい」という著者が、スクーターでヨーロッパ一人旅に向かったのは24歳の時だった……
彼も ライダーだったのですね