万年NA バイク日記

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奥能登 国道249号 北陸中日新聞世切り抜き

【石川・国道249号線】つなげて復興へ 建設業者の奮闘追う

2024年8月4日 05時05分 (8月4日 11時17分更新)
 能登半島地震で寸断した道路を復旧し、住民の往来や支援車両の通行を支えてきたのが、大手ゼネコンを含めた石川県内外の建設業者だ。国道249号の沿岸部など今も途切れた道をつなげることは復興のスピードを左右する。「能登の力になる」と奮闘する姿を追った。(奥田哲平、写真も)

■工期短縮へ工夫

 茶色の土砂が行く手を阻む。大規模な土砂崩れが発生した石川県輪島市の国道249号。ショベルカーが土砂をすくい、ダンプに載せる作業を繰り返す。白く隆起した新たな海岸に運び、年内開通を目標に迂回(うかい)道路を造っている。
 「地元の皆さんから切望の声を聞いている。作業員一丸となって工期内に開通したい」。そう話すのは、大林組(東京)の能登半島災害復旧工事事務所の貞野祐司工事長(55)だ。十数カ所の土砂崩れで2・8キロが通行止めになっている大川浜工区を担当する。
 工事は、土砂崩れの現場から運んだ土を積み上げ、2メートルの高さにしてアスファルトを敷設する。1日に進めるのは20~30メートル。工期を短縮するため、比較的小さい20トンダンプ車を導入し、小回りが利きやすいようにした。「ダンプの運行を無駄に止めないように、すれ違いができる運搬方法も工夫している」と話す。

■直後に現地入り

 大林組が被災地入りしたのは地震発生から数日後。困ったのは宿泊場所の確保だった。比較的被害の少なかった輪島市町野町曽々木の旅館「横岩屋」を見つけた。停電と断水のため、発電機を持ち込み、山水を引いて電熱器で温めて入浴した。食事は直線で約70キロ離れた同県羽咋市の拠点から毎日運んだ。
 うれしかったのは旅館の女将(おかみ)がたまに差し入れしてくれるお手製料理。「地元で取れたアジのマリネ、トビウオの酢みそあえがおいしかった」と話す相馬圭さん(36)は「初めて災害現場に来て衝撃を受けた。自分が少しでも力になるんだと使命感を感じている」と決意する。
通行止めになっている国道249号の工事現場で、復旧にかける思いを語る門寺秀次さん=石川県珠洲市仁江町で

通行止めになっている国道249号の工事現場で、復旧にかける思いを語る門寺秀次さん=石川県珠洲市仁江町で

■地元で踏ん張る

 地元の建設会社も元日以来、道路復旧に奔走している。同県珠洲市長橋町の「門寺建設」の門寺秀次社長(51)は「大谷地区は復旧の歩みが遅い。復興のためには、やはり道路を早く通すことだ」と話す。大谷地区は国道249号の逢坂トンネル付近の土砂崩れで1・7キロが通行止めになり、地区が二分された状態だ。
 復旧工事を担当する前田建設工業(東京)が円滑に作業できるように、門寺社長は地元住民との連絡調整や重機の運搬などを手伝い、作業員の宿泊場所も紹介した。会社としても大谷地区から市中心部につながる国道249号大谷トンネル付近の復旧工事を受注し、近く着手する予定だ。
 十数年前に大手ゼネコンを辞め、3代目として家業の建設会社を継いだ門寺社長。元日は金沢市内の自宅にいた。家族の反対を押し切って出発し、翌2日朝には、ほぼ孤立状態の大谷地区にたどり着いた。すぐに重機で道路啓開や遺体捜索に当たった。「会社を『やーめた』と言うこともできたけど、ここで生まれ育ったから、戻ってこないと駄目でしょう」と笑う。
 多くの住民が2次避難などで流出し、地域の存続に焦りを募らせる。同社は大谷地区から市中心部に向かう道路の除雪作業も担うだけに、責任感は強い。従業員が半減する中で、来春に入社予定の大学院生の次男(25)の存在も励みだ。「数年で人口は半分以下にはなるだろう。けど、うちがいなかったら除雪もできない。住民が一人でも住んでいる限り、何とか踏ん張りたい」
 
 
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