・・・の記事の前に
今回の大雨 熊本県で特に大きな被害が出ていますが
コロナ過の中、我々の出来ることは限られています
限られた中でも 私でも簡単に出来る取り組み
詳しくは ↓
http://www.kumitate-bokin.jp/about/
熊本城を組み立てる事により 現地の復興にわずかながらでも 役に立てればいいですね
先週 土曜日 7月11日
雨の止み間をねらって 久しぶりにTX650を出す
スリムなタンクに合わせ ウィンカーを小さくしてみました
GX750に取り付けたモノと同じデザイン
ウィンカーは7cm² 以上 または 監査に通ったモノなら車検はOK
写真のタイプでも15cm² ありますので 楽勝
ですが 前側が出っ張り過ぎかな・・・
若干改善の余地ありですが どうするか考え中
手取川の河川敷道路到着
水位はたいしたこと無いみたい
手取川と名前が付いた云われは
倶利伽羅峠の戦いの後、平家軍を追う木曾義仲軍が篠原の戦いを前に、増水して濁流の川を渡るとき、多くの兵士が互いに手に手を取って流されないようにして渡ったことに由来する
だそうです
その日も こんな風に褐色の水が流れていたんでしょうね
手取川が歴史に大きく登場しているのは 戦国時代の手取川の合戦
1577年
越後の上杉謙信
元々 能登を治めていた
能登の国守 畠山氏
上杉軍の侵略に救援を頼んだのが
信長は直接戦場には赴かず 救援群の総大将を務めたは
しかし 旧援軍が来る前に 能登の畠山氏は崩壊 七尾城は上杉軍の手に
・・・この時点で救援の意味は無くなる
一方 手取川までは 順調に進軍の信長軍
そこで 諍い 勝家と不仲だった 羽柴秀吉が撤退
柴田軍単独で 手取川を渡河しましたが
その直後 柴田勝家は七尾城陥落と上杉軍の南下を知ると撤退を命じるも
背後の手取川は雨で増水
・・・いわゆる背水の陣(圧倒的不利)で 背面に手取川 正面にはには上杉軍
戦いは 逃げるに逃げられなかった信長・柴田軍の惨敗
一方的に上杉軍の勝ちという結果
戦力は有っても 情報戦で負けた上に 仲間割れでは 勝てません
柴田勝家はダメージを食らった一方
上杉軍はこれ以上 追撃しなかったので (撤退した秀吉軍も怖いし 補給路も伸び切る)
後ろに控える織田信長にはたいしたダメージには
ならなかったんですよね
だから 羽柴秀吉は 信長からたいして怒られなかった
そんな 手取川の褐色の流れ
河川敷道路で 下流の美川漁港
狭い港に小型漁船がひしめく
大きな水門
この外は手取川河口
美川漁港の名物といえば
フグの小糠漬け
卵巣の毒を糠に漬けることで無毒化した珍味
写真の大きさで切ると 塩辛く
小指の先ほどの大きさでちまちま食うのが美味しい
因みに 能登では サバの子漬け
サバの卵巣を塩漬けした保存食
白いごはんのともに、おにぎりの具に、パスタの具に、酒の肴に、最適です。塩辛いので、ほんの少しでご飯のおかずになります。
これ 今度の能登ツーリングの時に 売っているところに寄りますよ
興味がある方は買ってみて下さい
手取川河口に
防波堤の外には日本海
海水の蒼と手取川の濁水の茶色が分かれる
雲の間から ひかり
↓ 濁流にも歴史