さて 「七尾城攻撃」という言葉が出てきます「天正12年」
その七尾城
強固な防衛能力を備えた城
その頃は畠山家より家臣の「長 続連」
が実権を握っていた
越後の大大名 戦名人
この上杉謙信でも七尾城を落とすのは容易ではなく苦労したのですが
城を守る側の 長続連は 織田信長と内通
援軍を頼むことに成功
その織田信長
織田軍は 石川県の手取川を越えるとこまで来ましたが
その直前に七尾城は陥落
七尾が陥落してしまえば
1 織田軍も七尾が落ちれば来た意味がなくなる
2 織田軍の大将 柴田勝家と秀吉の仲はこのころから良くなく
秀吉軍が勝手に撤退 織田軍戦力低下
3 七尾城が落ちてしまったので 上杉軍は 織田迎撃に武力を集中
4 雨で鉄砲が使えない
5 織田軍方の 情報不足
の状態織田軍不利の状態で 手取川右岸地域にて 合戦に
> 織田軍 大敗
織田軍 北陸方面 総大将 柴田勝家
能登に侵攻した 上杉は 七尾城を 新しく与力になった遊佐続光に与えるが
上杉謙信 病死 上杉家 分裂騒動> これに乗じて織田信長は 再び北陸侵攻
七尾城は前田利家が支配
そして 本能寺の変 > 清須会議(旧織田と秀吉の権力争い) > 賤ケ岳の戦い(前田利家 秀吉側へ)> 佐々成正と前田利家の対立
その佐々成正の新たな家臣になっていた
昨日紹介した 神保氏春(張)
利家の七尾城攻略に際して その神保氏春から 命を下されたのが 「袋井隼人」
↓ コピペ
天正12年(1584)8月、越中富山城の佐々成政が秀吉に離反し、東海における秀吉と家康の対立を利用して、秀吉に与する前田利家を倒すため、8月28日、富山城から出軍し、能登半島の付け根にある朝日山(現・富山県氷見市朝日山公園)を攻めました。有名な末森城の合戦の端緒です。同時に、佐々成政の客将(守山城主)・神保氏春は、前田利家の重要な拠点・七尾を攻めるため、徳丸河原合戦の後、石動山脈で一番往来の多かった荒山峠越えの道を分岐させる要衝である勝山城に、彼の家臣・袋井隼人を入れ帰国しました
ということで 袋井隼人は 神保の家臣 佐々成正側
そして敵は 七尾城の前田利家
それに元々 神保氏春は 畠山家から 神保の分家に養子で入った経歴がある
勝山城やその周辺の地元の事は詳しい筈
袋井隼人は上司の神保氏だけじゃなく 地元の住民にも信頼が厚かった様です
・・・・・えっと 此処迄 飽きずに読んだ人は偉い
では 勝山城に入ってみましょう
看板の横から入る
お墓ですが 地元の方のお墓のようで・・・
脇から行こうとするも
道が 荒れちゃって 諦める
そこで バイクに戻り
県道を上がり
少し行ったとこでバイクを停め
下に見えるのが芹川の集落
其処から尾根沿いに上がり
見える範囲のどこかが お城の廓や本丸
↓確かに 自然の要塞
記事書いていて 自分でも訳わからなくなって来たので
間違い等ありましたら 優しくご指導願います