上越ツーリング
昨夜は 早い時間に記憶喪失
AM5時半に目覚める
お風呂の脱衣場の カワイイオブジェ
ひと風呂浴びて
朝の散歩
トキメキ鉄道の車両が行く
風は相変わらず強くて 海には波
浜の砂の上に白い泡が発生
波の華ですね
宿に戻る
1階の部屋に生け花
凛とした空間を演出
程よくお腹が空いたところで 朝食
アジの焼き魚が旨い
豆腐も味付けされ コレも御飯が進む
食後は優雅にコーヒー
8時15分 チェックアウト
因みに 宿泊費は 1泊2食で8000円(税別)ビール600円 ポイント使って―500円
コレに税金掛けて 合計 8960円でした
一人旅で
蟹まで食って この値段なのですから また来たい宿のリストに加茂屋も入りました
出発して R8を東に
上越で右折して
この日最初の目的地が見えて来ました
歴史に詳しい方なら この写真で 此処が何処か判ると思います
到着
神社に上がる 長い階段
そう 此処は 春日山城跡
あの戦国最強と云われた
上杉謙信の本拠地となる 山城
上杉謙信公
一旦は出家しているので 頭巾のスタイル
長い階段を登っていくと
謙信 48歳 七尾城 とあります
七尾城は石川県にある 畠山氏の城
難攻不落の城と呼ばれていました
七尾城城守は
この肖像 武田信玄と今まで呼ばれてましたが・・
「畠山儀続」
畠山義続がお亡くなりになった直後で 組織的には部下の意見が割れるなど不安定な状態
城内で疫病が発生したりして 難攻不落と呼ばれた七尾城も
上杉軍の前に 風前のともしび
そんな 七尾城の畠山氏の救援に軍を出したのが 織田信長
信長軍の大将 柴田勝家
秀吉も来てましたが戦いの前に勝家と喧嘩して撤退(信長自体は石川に来ていない)
大まかな戦況は
七尾城の救援に来た織田軍は 手取川を渡り北上
そのタイミングを見計らい 上杉軍は風前の灯だった七尾城を落とし
そのまま 織田軍に襲い掛かる
(つまり 七尾城は織田軍をおびき寄せるおとり)
織田軍は七尾城救援という当初の目的を失い 撤退を試みるも
天候悪化で手取川は増水し撤退路を失う
結果 織田軍は多くの犠牲を出し 大敗
・・・軍神と呼ばれた 上杉謙信の作戦勝ちですね
それと 先後しての 1577年 上杉軍の能登侵攻
亡者の装いをして太鼓を打ち鳴らし上杉軍をビビらせて追っ払った という伝説が残っているのが 輪島の御尋常太鼓
上杉謙信 死去が1578年なので
私の個人的見解では
謙信死去により上杉家分裂の危機
内部紛争での撤退と考察
・・・・太鼓にビビった訳ではなさそう💦
こんな 訳で 石川県にも多くの影響をもたらした 上杉謙信
その上杉謙信
毘沙門天と云われた知略にあやかりたく 此処に来ました